関東、30代主婦のケース

生活保護受給者の声

Aさん、30代主婦。

・夫と6人の子どもと、関東で暮らしている。

・6人目の子どもを出産直後の2年前に生活保護を受け始める。

・現在は、夫の収入だけでは足りない部分を、生活保護でまかなっている。

生活保護を受ける前まで

バツ1ということもあり、私は子ども3人、
前の主人のところから連れてきての再婚だったわけなんですけど、
普通のご家庭で経済的に厳しかったら、
お子さんっていうのは考えないのが普通なのかなと思うんですけど、
私は授かった命を無碍にすることはどうしてもできなくて。
経済的なことを考えても、ちょっと頑張れば・・・と思っていたんです。

一番下の子が生まれる少し前に、夫の仕事がなくなってとか、
最終的には食べていくお金も働くことも限界ってなった時に、
周りから考えたほうがいいんじゃないかっていうことは言われたんです。
でも、車をなくすとか、体裁とか、
いろんなことを考えちゃうと生活保護になるのは嫌で。

私の父は他界していて母は身体障害者で、
主人のほうは主人のほうで、血がつながってるのがお母さんだけなんですね。
お互い親戚は実家ぐらいしかなくて、
それぞれに事情がありすぎちゃって、
とても経済的な援助を頼める状況下じゃなかったです。

受給前は、2歳とか3歳の子だけを家に残して、おにぎりだけ置いて、
本当に小さい子だけ残して昼間8時間、仕事でいなくなって・・・
帰ってくるまで何とか頑張ってねっていう、そういう生活もしていました。
そんな生活を続ける中で、子どもたちが痩せていく姿を見て、
気が付いたんですよね。
自分はプライドもあるし、働けば何とかなるしと思って無理してきたけれど、
子どもたちにその経済状況を付き合わせるっていうことは、
虐待と変わらないなと気づいたんです。
これは私が意地を張るところじゃなくて、一旦お世話になって、
きちんと暮らせる状況を立て直してっていうことを考えようって思って、
受給の申請に行きました。
もしなかったら、誰か一人ぐらい死なせてたかなっていう不安は、
今でも思い出すとあります。

生活保護を受けてから

最初に生活保護のお金をいただいた時に、
これで子どもたちに何か食べさせてあげられる、
今日お肉が食べさせてあげられると思った時に、
本当に・・・よかった、本当によかった、これがあったから生きていけるって、
本気で安心したのだけはよく覚えてますね。

これがなかったらどうにもならなかったと思ってますので、
今でも感謝してますし、
だからこそ、抜けたあとも一生懸命働いて恩返しになればなと思っています。

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